昨今はゲームセンターが苦境に陥ってる。


私が学生の頃は、ゲーセンといえば不良少年の溜まり場であり。
なんだかよく分からない、薄暗い空間に電子音が鳴り響き。
タバコ臭い場所で、真面目な大人は近寄らない。
男ばかりの。

そんな空間だったと思う。 


しかしちょっと前に、プリクラやクレーンゲームなどが登場して、チェーン展開する企業もあり、孤独な男の隠れ家(?)からカップルや家族の場所となって、今では大手だと明るい雰囲気のそれとなっている。

まぁもちろん、それはそれで正しい方向だ。
何も問題はない。


今回話題にしたいのは、そちらではなく、いわゆる私が子供のころ体験した薄暗いゲーセンの方である。


ゲームセンターそのものは、テーブルテニスのようなシンプルなものから、ブロックくずし、サーカス、そういったゲームが、やがてインベーダーで開花した。

1ゲーム100円、ただし私が知っているのはもう少し後、インベーダーは時代遅れとなって、1プレイ50円になった頃。

当時は最先端として、ギャラクシアンとかパックマンが出ていた。平安京エイリアンもあった。ディグダグにはもう少し早かった。


当時、すでにブームが過ぎていたインベーダーはさまざまな形でパクられ、今や日本最大のエンターテイメント企業といっても差し支えない任天堂からも、パクりが出ていた。フィーバーベーダーとか言ってた気がする。

ゲームの種類は多いけれど、どれも似たようなもので、シューティングがメイン。
例外はパックマン系で、似たようなのにラリーXとかもあった。
あるいは、任天堂はちょっと違うスタイルのシューティング、シェリフとかが出ていた。

あとは、何か忘れたけれど、フットボール? アメフトみたいなので、ぶつかってケガをすると女性の声で「いたいいたいいたい」と叫ぶのもあった。


ある程度の規模のゲームセンターには、サブマリンというナムコのエレメカゲームがあって、これは常時「ピピーン」というソナーの音を出していた。潜望鏡をデザインした黄色い窓を覗くと、その向こうにプラモデルの戦艦が並んでいる。

ゲームセンターは、プレーしていないと静かである。というのも、デモ状態だと音は出ず、お金を投入して初めてサウンドが鳴るからだ。しかしこのサブマリンは、デモ中でも音を鳴らしていて目立っていた。

サブマリンといえば、そういうテーブルゲームもあった。戦艦から爆雷を落として、下を通る潜水艦に当てるだけというシンプルなものだ。戦艦も爆雷も潜水艦も、水という制約があるため動きは遅い。当時の性能の低いコンピュータにはうってつけの素材だったのだろう。ディープスキャンとかN-SUBという名前のものもあった。


ルナレスキューとかムーンクレスタとか、名前で伝わるかどうか分からないけど、そういうのもあった。

みんな、100円もしくは50円、時代遅れのものは10円玉を投入して、ゲームに没頭したものだ。

正直なところ、ファミコンブーム、そしてスーファミ、現在のPS5に至るまでの、家庭用ゲームの文化の礎を作ったのは、これらのゲーセン時代からではないかと思う。ゲーセンでやってたゲームを、家でもやりたい。お金を払わずにできる方法はないだろうか。その流れで、1980年ごろにパソコンブームが起こったけれども、当時、パソコンのスペックは低くてインベーダーを再現するのも精一杯だった。しかもプログラミングを要求された。それが、カセットを入れるだけで簡単にゲームができるファミコンの登場で、一気に勢力図は変わった(もちろん海外製のATARIとかコモドールとかもあったけれど、クオリティはあまり良くないのと、価格が異常に高かった)。


ちなみに思い出すままに徒然と書いただけなので、オチは一切なく終わります。