「国鉄型引退」というニュースに触れると、ときどき、「国鉄時代の車両は良かった」というフレーズに出会うことがある。

漠然としててよく分からない。

かつて設計者が手書きで作り上げていった設計図が、コンピュータ導入で平面的になったり、またはその時代の流行を反映したり、さらに材質の進化や保安装置の法規改正があったりなどで、車両の顔つきはどんどん変わっていく。

国鉄時代の車両にはある一定の統一されているデザイン観があって、それを指して「よい」という感想もあるとは思う。

変化を嫌うというのも、あるのではないか。

ただ、それよりもむしろ、「最近の車両はおもしろくない」というアンチテーゼとして、使われているような気がする。これはいつの時代も同じで、103系が活躍しているときにも言われたし、それどころか209系などでも同じことを言う人がいた。いつの時代にも、「ちょっと昔の車両=貴重な存在」という考えは存在するのだろう。


国鉄時代のデザインが、ファンにとって桃源郷だったのかどうかは何とも言えない。

特急電車は九州に485系がいて、本州にも485系・183系・381系がいて、北海道に781系がいた。
デザインに若干の違いはあるけれど、ほぼ同じ顔だ。

急行型ディーゼルカーはキハ58がメイン。 
近郊型電車は113系・415系。顔はほぼ同じ。

「趣味とは、一つの種類から違うものを見つけるもの」
と言った人がいるとかいないとか、確かに同じ421系でも、ライトがでかいとか小さいとか、窓の数うんぬんという違いはあるけれど、マニアでないとなかなか注目はできない。

だから国鉄時代は、乗り潰しなどの旅行に出かけて、行く先行く先で同じような車両に出会うこととなり、そういう意味では退屈だった。
ただその地方の管理局によって、微細に改良・改造が加えられ、そういう違いを発見する楽しみも、確かにあった。

そうなると、国鉄型がよき、という前提も、当時に照らし合わせると答えは出なくなる。
つまり、いつの時代も、それよりちょっと前の世代が羨望されているし、普段見ない顔が珍しくていいのだということになる。分かりづらいけれど、そういうことだと思っている。


ただし、明らかに、一部地方でしか会えない車両もいる。

昭和50年代あたりに出ていた、子ども向けの「ブルートレイン本」などは、主に本州、というか東京近辺で撮影された写真が多かった。
当然、ブルートレインを牽引する機関車は、EF65-1000(1100でもいいけど)が多く、古いやつでEF58ばかりであった。
ブルートレインに合う、青+クリーム帯のスマートな機関車は、その列車のイメージアップに大いに貢献していたと思う。ヘッドマークを掲げた姿も素敵に見える。

そういうのを見て育ったものだから、いつしか「ブルートレイン=青い機関車・青い客車」と思っていた。

が、私の住む九州は違った。赤い機関車で、ヘッドマークはついていない。


なぜ機関車が違うのか、何度も取り換えるのか、理由はきちんと本に書いているはずだけど、私はそこまでじっくり読まないタイプだった。時折、思い出したように紹介される九州でのブルートレインの姿、そしてごくまれに扱われる関門トンネルでの銀色の機関車に牽かれるそれを見て、
「なんで、こんなに頻繁に変えるんだろう」
と思う程度だった。九州の目的の駅(『あさかぜ』なら博多駅)に到着したら、また青いEF65に牽引されて、東京へ戻るのだとも考えていた。

その後、電化方式の違いというのを知り、九州では必ず赤い機関車で牽かれるというのを知って、軽い衝撃を受けたのを記憶している。小学校低学年の話だ。

国鉄という統一されているデザインで、確かに顔は似ているけれど、色は違う。そういうこともあるもんだと思った。


さて、当時はブルートレインの最盛期であり、自称 "最寄り駅" の博多駅にも、多くのブルトレが到着していた。

東京発だと、『さくら』に始まり、『はやぶさ』『みずほ』『あさかぜ』。関西発も含めるとまだまだ多く、さらに寝台電車583系も加わった。

子どもとしてはじっとしていられるような内容ではないので、博多駅に訪れては、それらを眺めていた。
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最初に見たのは、ED72の『あさかぜ』だったが、写真が行方不明なので、まずはこちらのED73『みずほ』。

黄色い切り抜きナンバーが特徴だったが、理由が非常にシンプルで、「前面から見るとED72と全く区別がつかない」から。

『みずほ』という列車も、地味な存在だった。長崎・熊本ゆきというのはその前に運転されている『さくら』『はやぶさ』と被る。当時はそれを補完するだけの旅客数があった、というのも驚きだが、この時はすでに凋落しかけていて、21世紀を迎える前に消えてしまった。その後、その名が、まさか九州新幹線の最速タイプとして復活するなど、当時は誰も予想できなかったと思う。 

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さて上記のEF70は『さくら』。ヘッドマークがないから、全く分からない。
EF70も、もともとは北陸で活躍するために登場した車両ではあるが、あちらが交直流入り混じる複雑な関係になってしまって、余剰となって九州へやってきた。だが、九州はすでにED76の天下であったし、なにぶん線路が貧弱という状況だったので、あまり長いこと活躍せずに消えていった。同じような機関車にED74というのもあったが、これは見たことがない。博多口には来ていなかったと思う。 

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昭和59年の2月改正で、ヘッドマークが復活した。

そもそもブルートレインは全区間でヘッドマークを装着していたのだが、九州では運転区間が長くないという理由で合理化により廃止していた。それが「復活」するとあって、この時期はちょっとしたお祭り騒ぎになっていた。ED75-300の最終ナンバー「311」もなかなか良きである。

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ブルートレインとは関係ないが、博多駅の新幹線よりには、時々こうやって貨物や回送列車が現れていた。ここはその後、篠栗線博多乗り入れのため9番のりばが設置され、さらにその後新幹線ホームとなった場所。たぶん。(最近行ってないので分からない)。