小学生男子は、たいてい、何らかの形で鉄道に興味を持つ。

親が買い与えてくれる絵本や雑誌に、特急や新幹線が出てくるものが多いから、それは当たり前の反応とも言える。
私もご多分にもれず、ブルートレインや特急列車が好きだった。
特に、九州では見られない直流電気機関車のEF65や、113系に強く関心があった。これも、恐らく本の影響なのだと思う。

ところが自宅近辺には直流電化路線はおろか、鉄道路線がない。最も近い "最寄り駅" は、国鉄筑肥線西新駅。最寄り、と言っても片道約2.5kmはあるうえに、本数も1時間に数本とのんびりしていて、そしてやって来る車両はキハ35とかキハ20などの気動車ばかりだった。朝夕にDE10が牽引する客車列車もあったが、当時としては客車列車など特に珍しくもないし、子供心をくすぐる存在では決してなかった。
 

そんなわけで、個人的には、博多駅が "自宅最寄り駅" だと考えていた。

当時も今と変わらず、博多駅にはたくさんの列車が集まる。
特急はほぼ485系、急行は475系やキハ58、普通列車は415系(いずれも派生形式を含む)ばかりで、今のように885系とか787系、883系を始めとしたデザイン列車の百花繚乱、という雰囲気ではないが、朝夕にはブルートレインも現れるし、非電化路線に入るキハ82などがひょっこり現れるなどの面白さがあった。1日いても、飽きない駅だ。ホームの上には格安の立ち食いうどんもある。

ただ、個人的に "最寄り駅" とはいっても、片道10km弱はあるので、当然、自宅からバスで行く。


飯倉営業所が絶賛営業中の頃は、現在の国道263号線から中心部へ向かうバスのほとんどが「3」系統で貫線(かんせん)経由と呼ばれていた。貫線とは今では全く呼ばなくなった名前だが、かつて路面電車が走っていた頃の福岡市内線の路線名称で、現在の明治通りである。

「3」系統は国道263号線を西新まで出て、そこから東へ向かい、天神もしくは博多駅を目指す。なお西新まで顔を出すだけで、そこで終点のものもあった。星の原線も、これに含まれる。

「17」という系統、これは上記の明治通りは通らず、荒江四角で東へ向かい、六本松、柳橋を経由して博多駅へ向かうルート。混み合う西新や天神を通らないため、「3」系統よりも到達時間が早く、地下鉄ができるまでは人気のルートだった。地下鉄ができても、乗り換えが不要なので現在に至るまで愛用されている。

このほか、「9」という系統があった。通過するのはほとんど「3」系統と同じなのだが、終点が天神の外れだったように記憶している。運用の都合のような路線だったので、ほどなく消えたと思う。

「14」系統、これは七隈方面、茶山を通って天神へ向かう系統で、飯倉営業所からも少しだけ出ていた。天神へ出るとはいえ、まずは南へ向かうという全く明後日の方向へ走るので、一度も利用したことがない。

「93」系統もあって、これは藤崎へ行く路線。そもそも飯倉から藤崎へ行くのは、せいぜい区役所の用事くらいしかなく、こちらもほぼ乗ったことがない。「ほぼ」というのは、一度だけ区間利用(唐木ー脇山口)をしたことがある、その程度だった。 

飯倉営業所がなくなり、早良営業所がメインになると、系統も増えていったような気がする。

その際たるのは「200」の急行バスや、「3-3N」という都市高速経由バス。前者は、いくつかのバス停を飛ばし、六本松・国体道路経由で博多駅へ向かうのだが、急行専用の車体を用いていて斬新だった。後者は普通の車体だが、都市高速というワープを使えるのが魅力だった。


自宅近辺だけでもこれほど数多くの系統があるのに、それを福岡市内ほぼ全域で維持しているのが西鉄のすごさだと思う。長いこと「バス保有率日本一」という称号を欲しいままにしていたのも理解できる。よく、他地域の人が、天神や博多駅で「バスに囲まれた」「バス渋滞」などと驚くのだが、本来であれば鉄道に置き換わるべき旅客量を、きめ細かい路線網で運んでいることがよく分かるのだ。


それぞれの系統は、いわゆる起点は天神や博多駅という、町の中心部だが、終点は一定しないものが多く、「3」系統でいけば、今はなき飯倉や、星の原団地、早良営業所、さわら台団地、西入部、脇山小学校、早良高校、椎原、曲渕などなど。飯倉営業所時代の「17」とか「93」では重留もあったような記憶があるが、「重留」がなんと呼ぶのか分からず、友達と「 "じゅうりゅう" じゃない?」「いや "おもどめ" だよ」とか言っていた。後年そこに行く機会が増えたが、なぜここが、一時的にでも終点になったのだろう、と思わざるを得ないような、何もないところだった。
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